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「昼は朝廷で働いて、夜は閻魔大王の下で裁判の手伝いをしてた人がいるらしいよ」
茜がスマホの画面を見せながらそう言ったとき、陸は半分聞き流していた。京都旅行の3日目、東山の宿を出て清水寺に向かう途中、細い路地に迷い込んだところだった。
「その人、小野篁っていって、平安時代に本当にいた官僚なんだって。歌人としても有名で、遣唐使のトラブルで隠岐に流されたりもしてる。ちゃんと歴史に名前が残ってる人」
「で、その人が地獄に通ってた、と」拓海が笑った。「さすがに盛りすぎでしょ」
「盛った人たちがいたのは事実なんだよ。『江談抄』とか『今昔物語集』とか、平安末期から鎌倉時代の文献に、ちゃんとその話が書かれてる。しかも、その通い口とされる井戸が――」
茜がスマホの地図を指差した先、細い路地の奥に、古びた寺の門が見えた。六道珍皇寺。門前には「六道の辻」と刻まれた石碑が立っている。
「この辺り、平安京の火葬地――鳥辺野の入口だったらしくて。この世とあの世の境目だから『六道の辻』って呼ばれてたんだって」
3人は何となく吸い寄せられるように、境内に足を踏み入れた。
「井戸、見える?」
「本堂の裏らしいけど、特別公開のときしか見られないみたい」
拓海が少しがっかりしたように言うと、掃除をしていた寺の方らしい年配の男性がふと顔を上げた。
「井戸、気になりますか」
「あ、はい。冥土通いの井戸って……」
「今は塀の向こうで見えないんですよ、特別公開のとき以外は」男性は少し笑って続けた。「うちは『来る』お寺じゃなくて、『送る』お寺なんです。8月の六道詣りのときなんかは特に」
「送る、っていうのは」
「お盆に、ご先祖さんの霊をお迎えする行事があるんですよ。経木に戒名を書いてもらって、迎え鐘というのを撞くんです」
男性はそう言うと、本堂の脇にある小さな鐘楼を指した。今は使われていないはずのその鐘の前に、なぜか縄が下がったままになっていた。
「今、撞いても平気なんですか」
茜が興味本位で尋ねると、男性は一瞬だけ間を置いてから答えた。
「時期じゃないので、本当は駄目なんですけどね。……まあ、一回くらいは」
拓海が冗談半分で縄を引いた。低く、思ったより長く響く音が、静かな境内に広がった。
その瞬間だった。陸は、境内の隅、木々の陰になったあたりに、誰かが立っているのを見た気がした。振り返ったときには、もう誰もいなかった。
「今、誰かいた?」
「え、いないでしょ。私たちだけだよ」
茜と拓海は不思議そうな顔をしただけだった。寺の方も、いつの間にか本堂の奥へ戻っていて、姿が見えなくなっていた。
異変に気づいたのは、宿に戻ってからだった。
「あれ、拓海のスマホの時計、おかしくない?」
茜が指摘して、拓海が画面を見ると、時刻表示が実際より2時間ほど遅れていた。電波は問題なく入っている。電池も十分残っている。原因は分からないまま、時刻は勝手に直っていた。
「境内にいたの、実際は何分くらいだったっけ」
陸がそう聞くと、2人とも黙り込んだ。写真のタイムスタンプを確認すると、山門をくぐった時刻と本堂前で撮った写真の時刻の間に、体感よりずっと長い――1時間近い――空白があった。
「鐘、撞くんじゃなかったね」
拓海が笑おうとしたが、うまく笑えていなかった。あの日、境内で見かけた寺の方らしい男性のことを、後で寺の公式サイトの職員紹介と見比べてみたが、それらしい人物は見当たらなかった。もちろん、たまたま写真に写っていなかっただけの誰かだったのかもしれない。それだけの話だ。
調査ノート:六道珍皇寺と小野篁伝説の史実
陸たちの体験は完全な創作だが、そのきっかけになった小野篁の伝説自体は、実在の寺・実在の人物を下敷きにした史実の積み重ねだ。せっかくなので、物語の中では触れきれなかった詳細もここに書き残しておく。
- 寺の場所・宗派: 京都市東山区の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)、臨済宗建仁寺派
- 創建: 寺伝では延暦年間(782〜805年)。開山は慶俊、あるいは空海や小野篁自身とする異説もあり、はっきりしない
- 宗派の変遷: 鎌倉時代までは真言宗・東寺の末寺。1364年(貞治3年)に建仁寺から僧が入って再興され、臨済宗に改まった
- 六道の辻の由来: 一帯は平安京の火葬地・鳥辺野(とりべの)への入口にあたり、現世とあの世の境目と考えられ「六道の辻」と呼ばれてきた。六道とは仏教でいう地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つの世界のこと
- 小野篁の実像: 802〜852年、参議・小野岑守の子。嵯峨天皇に仕えた官僚で文武両道の学者・歌人。「野狂」というあだ名があるほど素行に癖があり、遣唐副使に任命されながら正使・藤原常嗣とのトラブルで渡航を拒否し、隠岐へ流罪になった記録が残る
- 伝説の記録: 「夜は閻魔庁の役人として働いていた」という話は、平安末期から鎌倉期に成立した『江談抄』『今昔物語集』『元亨釈書』に記されている。室町時代にはすでに広く知られていたとされる
- 井戸の実在: 本堂裏に「小野篁冥土通いの井戸」が現存(特別拝観時のみ見学可)。2011年(平成23年)には隣接する旧境内地から、篁が冥土から戻る際に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」も発見された
- 六道詣り: 8月7日から10日にかけて実際に行われる祖先崇拝の行事。経木に戒名を書いてもらい、香炉の煙を浴びたあと「迎え鐘」を撞きながら故人の名を念じる。鐘の音は「冥土まで届く」と言い伝えられている
出典・参考文献: 六道珍皇寺公式サイト「小野篁の不思議な伝説」rokudou.jp / Wikipedia「六道珍皇寺」ja.wikipedia.org / Wikipedia「小野篁」ja.wikipedia.org(いずれも2026年8月時点でWeb上で内容を確認。『江談抄』『今昔物語集』『元亨釈書』等の原典本文までは未確認のため、記述の細部は今後の一次資料確認で変わる可能性があります)
京都の寺社めぐりは、木陰の少ない石畳の参道を歩くことも多く、夏場は思った以上に体力を消耗する。以前の記事で冷感タオルを比較したので、暑い時期の散策のお供に気になる方はチェックしてほしい。
このお話はフィクションです。寺の実在、六道の辻の由来、小野篁の実在と経歴、伝説を記す文献の成立時期、井戸の発見時期・六道詣りの実施内容等の史実部分は上記の出典に基づく事実ですが、本記事に登場する陸・茜・拓海という大学生3人とその体験談、境内で会った寺の方らしき人物との会話はすべて筆者による完全な創作であり、実際に体験した出来事や、実在する人物の発言ではありません。特定の個人・実話を示唆する意図はありません。
アイキャッチ画像: “150124 Rokudo-Chinnoji Kyoto Japan02n” by 663highland, CC BY-SA 3.0(出典、リサイズあり)