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「赤いものを持って、淵に近づいたらあかんよ」
集落で唯一、今も一軒だけ開いている雑貨店の店先で、古老はそう言って笑った。冗談か本気か分からない、そんな声色だった。芽衣たち民俗学ゼミの3人は、過疎化が進むこの山あいの集落に、夏季のフィールドワークで訪れていた。
「赤いもの、って例えばどんな」
陸が手帳を片手に尋ねる。3人の中で一番、理屈で物事を考えるタイプだった。
「服でも、傘でも、なんでも。昔からの言い伝えでな。あの淵には、雨乞いの神さんがおる、言われとる」
集落の外れ、杉林を抜けた先にある「蛇淵」と呼ばれる深い淵は、かつて日照りが続くと、村人総出で雨乞いの儀式をした場所だった、と古老は語った。牛の首を沈め、竜神を怒らせて雨を降らせる。そういう手荒な方法が、この地方には伝わっていたらしい。
「今はもう、誰もやってへんけどな」
その夜、宿に戻ってからも、芽衣はどこか落ち着かなかった。もう一人のメンバー、悠真が「どうかした?」と聞くと、芽衣は「なんでもない」と首を振った。本当は、祖母の入院のことが頭を離れなかった。手術がうまくいくように、ここ数週間、意味もなく手を合わせる癖がついていた。
翌日、3人は改めて蛇淵を訪れた。水面は静かだったが、ときおり、風もないのに小さな泡が浮かんでは消えるのが見えた。
「なんか、生きてるみたいだね、この水」
芽衣がつぶやくと、陸が水面をじっと観察しながら答えた。
「たぶん、底に溜まった有機物が分解されるときのガスだと思う。沼とか、水の流れが悪い淵だと、たまにこういう気泡が自然に出ることがある」
「せっかく雰囲気あったのに、台無し」
悠真が笑ったが、芽衣はまだ淵から目を離せずにいた。
調査を進めるうち、陸は集落の小さな神社に保管されていた古い記録帳の存在を知り、宮司の許可を得て閲覧させてもらうことになった。江戸時代後期、天保年間の大飢饉の頃の記述が、そこには残っていた。何年も日照りが続き、作物が育たず、餓死者も出た年があったこと。その年、村人たちが例年よりずっと大がかりな雨乞いを行ったという記述があった。
「『赤きものを淵に近づくべからず』って、ここにも書いてある」
陸が指差したページを、3人でのぞき込んだ。理由までは書かれていなかった。ただ、その年の儀式の記述の後、しばらく別の筆跡で「二度と、あのようなことがあってはならない」という一文だけが、追記されていた。
「これ、どういう意味だと思う?」
芽衣が聞くと、陸はしばらく黙ってから答えた。
「断定はできない。でも、ただの動物の首を沈める儀式なら、わざわざ後から『二度とあってはならない』なんて、強い言葉で書き残さないと思う。何か、それ以上のことがあった年だったんじゃないかな」
誰も、それ以上は言わなかった。ただ、「赤いものを近づけるな」という言い伝えが、単なる縁起担ぎではなく、その年に起きた何かを二度と繰り返させないための、後世への警告だったのかもしれない、という考えが、3人の間に静かに広がった。
宿に戻る道すがら、芽衣はふと、祖母のことを思い出していた。手を合わせることしかできない自分と、雨を降らせるために手を尽くすしかなかった、かつての村人たち。時代も理由も違うけれど、どこか重なるものがある気がした。
その晩、芽衣は久しぶりに祖母へ電話をかけた。手術の日程を聞き、他愛のない話を少しして、電話を切った。それだけのことなのに、胸のつかえが少し軽くなった気がした。
翌朝、3人が宿を出る前、古老がわざわざ見送りに来てくれた。
「昨日、ちゃんとお参りしてくれたみたいやな。淵のそばに、赤い花、一輪置いてあったわ」
芽衣は誰も、淵に花を供えになど行っていなかった。
調査ノート:雨乞い儀式の史実と、言い伝えが生まれる理由について
この物語に登場する集落・蛇淵・記録帳の内容は、特定の実在の地域を指すものではない完全な創作である。ただし、下敷きにした雨乞いの儀式そのものは、日本各地に実在する民俗学的な事実に基づいている。
- 雨乞いの基本的な方法: 日照りが続くと、氏神や竜王への祈願(籠もる)、雨に御利益があるとされる社寺や淵の水を持ち帰る「もらい水」、鉦や太鼓を打ち鳴らす雨乞い踊りなど、複数の方法が各地で行われていた(Wikipedia「雨乞い」)。
- 「竜神を怒らせる」雨乞い: 牛や馬の首を、水神が住むとされる滝壺や淵に沈めて竜神を怒らせ、雨を降らせようとする方法が、かつて各地で行われていたと記録されている(ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』11号「雨乞い」mizu.gr.jp)。物語中の「牛の首を沈める」儀式は、この実在の風習を題材にしている。
- 雨乞い人形・雨地蔵: 邪霊を追い払う呪的な力があるとされた人形や、綱で縛って淵に沈めた「雨地蔵」と呼ばれる石地蔵の伝承も各地に残る(同上)。
- 飢饉と雨乞いの切実さ: 江戸時代には天明・天保など複数回の大飢饉が発生しており、日照りによる不作は文字通り命に関わる問題だった。雨乞いが単なる年中行事ではなく、切実な生存手段として行われていた背景には、こうした飢饉の歴史がある。
- 「言い伝え」が生まれる社会的な理由: 民俗学では、恐ろしい言い伝えやタブーの多くが、実際に起きた災害・事故・悲劇の記憶を、具体的な記録ではなく「近づいてはいけない」「〇〇をしてはいけない」という禁忌の形で後世に伝える役割を果たしてきたと考えられている。本記事の「赤いものを淵に近づけるな」という架空の言い伝えも、この「禁忌を通じた記憶の継承」という民俗学的な機能を下敷きにしたフィクションである。
出典・参考文献: Wikipedia「雨乞い」 / ミツカン水の文化センター「雨乞い(水の文化 11号)」(いずれも2026年8月時点でWeb上で内容を確認)
フィールドワークや帰省など、慣れない土地に泊まる機会には、スマホの充電切れが地味に心細い。以前の記事でモバイルバッテリーも比較しているので、気になる方はチェックしてほしい。
このお話はフィクションです。雨乞いの儀式(竜神を怒らせる方法・人形や雨地蔵を沈める風習)や、飢饉と雨乞いの関係についての民俗学的な事実は実在のものに基づいていますが、本記事に登場する集落・蛇淵・古い記録帳の内容、および芽衣・陸・悠真という3人の学生とその体験はすべて筆者による完全な創作であり、実際に起きた出来事ではありません。特定の個人・地域・実話を示唆する意図はありません。
アイキャッチ画像: “Otobaru Waterfall Beppu” by Septemberskye, CC BY-SA 3.0(出典)。※記事中の淵を特定するものではありません(雰囲気を伝えるためのイメージ画像です)。