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「一枚……二枚……」
優花がスマホで動画を再生すると、井戸の底から皿を数える女の声が、スピーカー越しに小さく響いた。九枚まで数えたところで、声はすすり泣きに変わる。
「これ、皿屋敷でしょ。知ってる知ってる」
「知ってるだけじゃなくて、その井戸、これから行くとこにあるんだよ」
健太がそう言って、閉城時刻の迫った姫路城の案内図を指した。夏休みの終わり、大学のゼミ仲間3人――優花、健太、そして歴史学専攻の樹――で、涼しくなり始めた夕方を狙って姫路城を訪れていた。
「本当にあるの、あの井戸」
「上山里丸ってところ。天守に上がる手前」樹がスマホの画面を見せながら答える。「兵庫県立歴史博物館のサイトに解説あるから、あとで送るよ」
本丸に上がる石段の手前、石組みの古い井戸が見えてきた。金網で保護されていて、覗き込んでも底までは見通せない。西日が石垣に遮られて、そこだけ他の曲輪より少し薄暗かった。
「意外と地味だね」
「地味なのが逆にリアルだよ」樹が言った。「伝承では、主人殺害の疑いをかけられて手打ちにされた奥女中・お菊が、ここに投げ込まれたとされてる」
「でさ」健太が井戸に近づきながら言う。「『お菊井戸』って呼び名自体、実はそんなに古くないんだって。江戸時代の史料だと『釣瓶取井戸』っていう、ただの構造名で呼ばれてたらしい」
「え、じゃあいつから『お菊井戸』なの」
「大正時代、姫路城が一般公開されるようになってから。観光地化する過程で後付けされた可能性が高いってさ」
優花は少し拍子抜けした顔をしたが、樹はまだ続けた。
「もっと面白いのはここから。現存する最古級の記録は『竹叟夜話』っていう安土桃山時代の書物なんだけど、そこに出てくる女性の名前、『お菊』じゃなくて『花野』なんだよ。割ったのも皿じゃなくて『盃』」
「別人じゃん」
「別人というか、原型。今の『お菊・皿・九枚』の形に固まったのは、もっと後、1741年に大坂で上演された人形浄瑠璃『播州皿屋敷』かららしい。しかも江戸には『番町皿屋敷』っていう、名前は似てるけど筋立ての違う別系統の話もあって、後の時代にごちゃまぜになったって考えられてる」
静かな時間帯に井戸の前に立つと、石垣に反響する自分の足音が、一拍遅れて返ってくるような気がした。優花がそのことを口にすると、健太が「気のせいだって」と笑った。
そのとき、井戸のそばの木陰から、姫路城のボランティアガイドだという年配の男性が現れた。案内の合間の世間話のつもりだったのだろう、彼はにこやかにこう切り出した。
「この井戸、観光客はみんな写真だけ撮ってすぐ行っちゃうんですけどね」
「私たち、伝承のこと調べてて」樹が答えると、男性は少し声を落として続けた。
「たまに、閉城間際にここでしゃがみこんで動かない人がいるんですよ。具合でも悪いのかと思って声かけると、『いや、なんか耳から離れなくて』って言うんです」
「何が聞こえるんですか」
優花が尋ねると、男性は困ったような顔をした。
「それは僕も聞いたことないから分からないんですよね」
それだけ言うと、男性は次の団体に呼ばれて、会釈をしながら歩いていった。3人はしばらく黙ったまま、井戸を見つめていた。
「今の人、何課の人だろ。ボランティアガイドの制服、着てなかった気がする」
健太がぽつりと言ったが、優花も樹も、はっきりとは思い出せなかった。
調査ノート:「皿屋敷」伝承の史実
優花たちの体験は完全な創作だが、樹が説明していた伝承の変遷自体は、史料に基づく事実の積み重ねだ。せっかくなので、物語の中では語りきれなかった部分も、ここに詳しく書き残しておく。
- 井戸の実在: 姫路城「上山里」の一角に実在する史跡。観光ルート上にあり誰でも見ることができる
- 呼称の変遷: 江戸時代の史料では単に「釣瓶取井戸」と呼ばれていた。「お菊井戸」という呼び名が定着したのは大正時代初期、姫路城の一般公開以降とされる
- 最古級の記録: 『竹叟夜話』(天正5年=1577年の成立とされる)には播州を舞台にした類話が載るが、登場する女性の名は「お菊」ではなく「花野」、割るのも「皿」ではなく「盃」だったとする研究がある
- 物語としての定着: 1741年(寛保元年)、大坂・豊竹座で初演された人形浄瑠璃『播州皿屋敷』から、現在よく知られる「お菊・皿・九枚」の形が広まったとされる
- 番町皿屋敷との関係: 江戸(現・東京都千代田区番町周辺)を舞台にした「番町皿屋敷」は別系統の伝承で、旗本・青山家の奉公人だったお菊が主人公。播州版とは筋立てが異なるが、後年混ざり合ったというのが現在の一般的な理解
- 全国への広がり: 兵庫・東京のほか、尼崎・出雲松江・土佐幡多郡など各地に独自の皿屋敷伝説が伝わり、伝承地は岩手から鹿児島まで数十カ所にのぼるとされる
出典・参考文献: 兵庫県立歴史博物館「播州皿屋敷 姫路のお菊井戸」rekihaku.pref.hyogo.lg.jp / 兵庫県立歴史博物館「『播州皿屋敷』を訪ねて」同館・訪問記 / 攻城団「お菊井戸」kojodan.jp / 日本経済新聞(もっと関西)nikkei.com / 神戸新聞NEXTkobe-np.co.jp / 歌舞伎美人「皿屋敷」kabuki-bito.jp / Wikipedia「皿屋敷」ja.wikipedia.org / 日本伝承大鑑(九州の類話事例)japanmystery.com(いずれも2026年8月時点でWeb上で内容を確認)
夏場の城めぐりは、天守まで石段が続くうえ日差しを遮るものが少ない。今回のような夕方の見学でも、日中の紫外線対策は必須だ。以前の記事で日焼け止めを比較したので、気になる方はあわせてチェックしてほしい。
このお話はフィクションです。井戸(お菊井戸)の実在、名称の変遷、文献の成立年代、芝居の初演年等の史実部分は上記の出典に基づく事実ですが、本記事に登場する優花・健太・樹という大学生3人とその体験談、ボランティアガイドとのやり取りはすべて筆者による完全な創作であり、実際に体験した出来事や、実在する人物の発言ではありません。特定の個人・実話を示唆する意図はありません。
アイキャッチ画像: “Blue Himeji Castle at night 07” by Corpse Reviver(パブリックドメイン、出典、リサイズあり)